神の領域ピッコロじゃなかったアタチャイ・フェアテックス
当時WSRもNJKFに加盟していて、『こんなチャンピオンなんて引退してからやっと日本で見れるのだろう…』と思っていた。それがなんとNJKFの看板選手・鈴木秀明との対戦が発表されたのにはビックリしたのを覚えている。
アタチャイはJrフェザー級(55.34kg、現在のSバンタム級)の体格で1階級上、2階級上のランカーやチャンピオン達と試合をしても負けなかったのである…当時Jrライト級チャンピオンだったナブカブアンはタイトルを5年もの間保持をしていた名王者だったが、自分に有利な体重でアタチャイと闘い敗北した。
そんなアタチャイが見れると思い珍しくNJKFの後楽園が満員だった…そしてタイ人がオーナーと言う理由でWSRジムがセコンドに付かされたのである…当時チーフセコンドをしていた僕もまったくタイ語が分らず苦労したが、今思えば一番緊張をしてたのは誰でもなくアタチャイだった。
18歳と言えばまだ子供である。初めての海外で普段と全てが違い言葉も通じず動揺のあまり口が利けなくなる程だった…それでも僕はバンテージチェックに一緒に行き、身振り手振り知ってる限りのタイ語単語とボディーランゲージで鈴木選手のスタイルを伝えたが試合は最悪だった。
ムエタイと掛け離れたファイトスタイル、1Rからバタバタしたリズムでローキックを蹴られ結果は5R判定勝ちだったけど歩くのもやっとのダメージを受けていた…その後の打ち上げの食事会でもアタチャイはまったく食事をしなかった事も覚えてる。
二度目の来日の相手もまた鈴木選手だった…この時は少しは落ち着いていたらしくローキックもほとんど貰わずネコの様な動きで翻弄して勝ってその試合を最後に鈴木選手は引退した。
その後アタチャイはJrライト級のチャンピオンに成りたい(自分の中で魅力的な階級だったらしい)とベルトを返上して2階級上に移行してから、全くその名前を数年程聞かなくなった…アタチャイもスポンサーやジムが変わり、たらい回しになり政治的な事に巻き込まれた選手だと思っていた…それはたまに試合に出ても勝ったり負けたりでコンスタントに試合を行っておらず「引退かな」と思った数年後、久々にドンドン試合をこなすアタチャイは完璧な復活をしていた…セーンチャイとの接戦、クンピニットをボコボコにしてアヌワットがKOで連勝してた時、KO寸前まで追い込んだのも、ノッパラットに勝利したのもアタチャイだった。
M-1の興行前ゲーオかアタチャイかって話の時、断固としてアタチャイを呼んで良かったと今も思ってる。
そしてそのネコの様な動きはまったく相手に触らせないほど動きで神の領域に届いたと言われるまでに進化していた。
パンチやヒジの当たる距離でもスウェーやダッキング、ウィービングで避けてしまう…無理に追い詰めると最小限の動作からカウンターや軌道の読みづらい変則的なキックを叩き込む。
さー久々の試合相手が最高峰の男に決まった桜井選手は、どう立ち向かうのであろう…
※この写真は、試合後の控え室でアット(アタチャイ)と真吾と記念撮影した時のものです。